年俸調停の過去の事例

年俸調停の正式名称は「参稼報酬調停」と言います。選手と所属球団が、日本野球機構(NPB)に対して参稼報酬(年俸)の調停を申請する制度で、次年度の契約締結で参稼報酬(年俸)が合意に達しなかった場合に、日本野球機構(NPB)のコミッショナーに対して参稼報酬(年俸)の調停を申請することができます。

年俸調停をすると、調停で決定した調停額で選手が契約をしないと、その選手は任意引退扱いとなります。任意引退は、他球団と選手契約をする場合に最終所属球団の許可が必要となりますので、選手にとっては自由契約よりも厳しい措置です。また、球団側も調停額を変更することはできません。

調停額が提示されたこれまでの事例

1. 1973年 レオン・マックファーデン(阪神)

 選手希望額:900万円/球団提示額:600万円/調停額:600万円

レオン・マックファーデン外野手は1972年に阪神タイガースに在籍し54試合に出場。日本プロ野球史上初の年俸調停を申請したが、球団提示額が妥当とされ、球団提示額と同額の600万円が調停額となった。レオン・マックファーデン選手は調停額を不服として任意引退となった。

2. 1991年 落合博満(中日)

 選手希望額:2億7000万円/球団提示額:2億2000万円/調停額:2億2000万円

1990年の落合博満選手は、打率.290、本塁打34本、打点102点の成績で、本塁打王と打点王の2つのタイトルを獲得。落合博満選手は1億6500万円から2億7000万円と1億円超の増額を要求したが、中日ドラゴンズと契約更改交渉で合意に至らなかった。落合博満選手は日本人選手初の年俸調停を申請したが、球団提示額が妥当とされ、球団提示額と同額の2億2000万円が調停額となった。当時の吉国一郎コミッショナーから、希望額の2億7000万円は夢の範囲を超える金額と指摘された。翌年本塁打王を獲得し、年俸は3億円に。

3. 1993年 高木豊(横浜)

 選手希望額:1億0263万円/球団提示額:9330万円/調停額:9840万円

1992年の高木豊選手は、2年連続全試合に出場し、打率も.300で3年連続3割を記録。高木豊選手は年俸アップを主張したが、横浜ベイスターズはダウン提示をし、契約更改交渉で合意に至らなかった。高木豊選手は年俸調停を申請し、球団提示額よりも510万円の増額を勝ち取った。翌年は三塁から一塁へコンバートされるも3年連続となる全試合出場をしたが、屋鋪要選手らのベテラン選手とともに事実上の解雇となる自由契約となり、日本ハムファイターズに移籍。

4. 1996年 野村貴仁(オリックス)

 選手希望額:6500万円/球団提示額:3900万円/調停額:3900万円

1995年の野村貴仁投手はセットアッパーとして活躍。37試合に登板し、3勝1敗2セーブ、防御率0.98と1点を切る驚異的な数字を残した。野村貴仁投手は6500万円を主張したが、オリックス・ブルーウェーブは3900万円を提示し、契約更改交渉で合意に至らなかった。野村貴仁投手は年俸調停を申請したが、球団提示額が妥当とされ、球団提示額と同額の3900万円が調停額となった。翌年も54試合で4勝1敗5セーブと活躍し、日本一に大きく貢献した。

5. 1998年 アルフォンソ・ソリアーノ(広島)

 選手希望額:2145万円/球団提示額:585万円/調停額:585万円

ソリアーノ選手は、広島東洋カープが所有するドミニカ共和国の野球スクール出身。1997年は9試合に出場し、17打数2安打だった。、ソリアーノ選手は18万ドルを主張したが、広島東洋カープは4万5000ドルを提示し、契約更改交渉で合意に至らなかった。ソリアーノ選手は年俸調停を申請したが、球団提示額が妥当とされた。ソリアーノ選手は調停額を不服として任意引退となった。ソリアーノ選手はその後ニューヨーク・ヤンキースに入団し、2002年にはリーグ1位となる128得点、209安打、41盗塁を記録。2006年にはMLB史上初の40本塁打40盗塁40二塁打を達成。2014年に引退したが、MLBの通算成績は1975試合、2095安打、412本塁打、1159打点、289盗塁。MLBを代表する選手となった。

6. 2001年 下柳剛(日本ハム)

 選手希望額:1億5000万円/球団提示額:1億3750万円/調停額:1億4000万円

2000年の下柳剛投手は、36試合に登板し、8勝4敗で防御率4.52の成績だった。下柳剛投手は1億5000万円を主張したが、日本ハムファイターズは1億3750万円を提示し、契約更改交渉で合意に至らなかった。球団側は一度は1億3900万円を提示したが、年俸調停に持ち込む場合は1億3750万円を提示するとして提示額を引き下げたたため、球団側への批判があった。下柳剛投手は年俸調停を申請し、球団提示額よりも250万円の増額を勝ち取った。下柳剛投手は翌年も9勝8敗の成績を残したが、翌々年は不振で阪神へ移籍した。

7. 2011年 涌井秀章(西武)

 選手希望額:2億7000万円/球団提示額:2億2000万円/調停額:2億5300万円

2010年の涌井秀章投手は5年連続二桁勝利となる14勝8敗、防御率3.67を記録。涌井秀章投手は2億7000万円と5000万円の増額を主張したが、埼玉西武ライオンズは2億2000万円の現状維持を提示し、契約更改交渉で合意に至らなかった。涌井秀章投手は年俸調停を申請し、球団提示額よりも3300万円の増額を勝ち取った。翌年は9勝12敗と二桁勝利を逃した。

調停額が提示されるに至らなかった事例

なお、年俸調停の申請をしたが、調停額が提示されるに至らなかったケースもあります。

1997年 石井浩郎(近鉄)

近鉄バッファローズが野球協約制限を超える50%ダウンの提示をしたため、石井浩郎選手が年俸調停を申請。日本野球機構(NPB)からの要請から、いったん近鉄と契約した後に巨人へ移籍した。

2008年 G.G.佐藤(西武)

G.G.佐藤選手が年俸調停を申請したが、パ・リーグ小池唯夫会長が申請を受理せず、話し合いをするように指示。

2011年 柴原洋(ソフトバンク)

福岡ソフトバンクホークスが野球協約制限を超える60%ダウンの提示をしたため、柴原洋選手が年俸調停を申請。日本野球機構(NPB)は野球協約制限を超えるダウンを選手が同意しているのか不明であるとして、申請を受理せず。

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